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2006年9月14日 (木)

『母に歌う子守歌』

落合恵子さんの『母に歌う子守歌ー私の介護日記』を読んだ。続きは、現在も東京新聞に連載中ということだ。
パーキンソン病と脳梗塞(?うろおぼえ)と痴呆症を患ったお母様を一人で見ている。日中はヘルパーさんに来てもらうが、夜は、お母様のベッドの隣に簡易ベッドを拡げ、2時間ごとに体位交換する。講演とクレヨンハウスの仕事と、いくつもの連載を抱えながら、食事を用意し、足湯をしたりなどのお世話をする。入院ともなれば、やはり食事を運び、そばにつきそい、治療について医者と渡り合う。ここでいわなければ、今まで私がやってきたことが嘘になる、とでもいうように、あえて「うるさい」家族をしているという。
精一杯やらなければすまないのだろうけれど、もう少し手を抜けるといいのにと読み手が思うほど、必死な思いが伝わってくる。
私の周りも、介護をしている人が増えてきている。
ある知人は、実家の母、父そして夫の母と、今3人を同時に見ている。この5年、家族旅行なんかしたことがない、という。まだ中学生の娘が、私の夏休みは全てつぶれた!と怒っている。小学生・中学生時代はに2度とないのだから怒るのは当たり前で、自分はただ謝るしかない。かわいそうだと思うという。ブラックユーモアたっぷりに親の様子を語る彼女の口ぶりは、何も知らずに聞くとなんてひどいと思われそうだが、そうすることで彼女は、自分を保たせているのだと思う。もちろんヘルパーを使ったり、なんだりしているが、それではすまないのが現状。
別の友人は、妻の母をケアハウスに入れて、ゴミ屋敷になっていた家を片づけてたたむ作業をした。その翌週、今度は単身の叔母が入院し、そのアパートをたたむ作業に追われた。同時に転院先の老人ホームを探してかけずり回った。そして翌月には、自分の両親のケアハウスを探して回っている。肉体労働はまあいいけれど、ひたすら捨てる作業がねえ、と疲れた顔をしていた。
この国では、年をとるにもお金がいる。いよいよとなれば生活保護で暮らせるだろうと考えていたが、甘いようだ。老齢加算を削減されて、多くの独居老人達は、ただ生きるだけの生活になったという。「文化的」生活など、したくてもできない。一日2食にしてしのいでやっとなのだから、交際費として使える分などいっさいない。孤立する人たちを、行政はどう支えるつもりなのだろうか。早く死ねといっているようで辛い。
老いても安心して暮らせる国にするにはどうしたらいいのだろうか。

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コメント

介護関係の他のサイトからリンクが張られていたので拝見しました。老いていくのにお金がかかるのは日本に限ったことではないと思います。むしろ老いるまで生きることができる国であるだけ幸福なのだと思います。少年が日常生活のなかで地雷によって命を落とす、そんな平均寿命のとても短い国もあるのですから。文化的な生活はお金が保証してくれるものでも行政が保証してくれるものでもないと思います。他人が○○してくれないから自分が○○できない、と言っているうちは、いつまで経っても文化的な生活とはほど遠いのではないでしょうか?他人が何かしてくれることで文化的になるわけではなく、自分が文化的な生活をすることでしか文化的にはなれないのです。

投稿: T.Sakurai | 2006年11月11日 (土) 00時33分

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