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2006年12月15日 (金)

教育基本法

教育基本法が改正されてしまった。
本当にこの国は、曲がり角を曲がってしまったと思う。

改正前の教育基本法は、戦争と軍国主義教育を反省し、平和で民主的な国民を育てるために作られた法律だった。憲法に準ずる扱いは、教育というものの重要性を示している。
その基本的な考え方は、個人の尊厳を守るということだと思う。それは子どもの尊厳であり、教師の尊厳であり、保護者の尊厳でもある。
今度の改正によって公=国家を中心にした教育になってしまう。これが今度の改正の根本。個人よりも、国を優先する、その結果が先の戦争だったのではなかったろうか。同じことを繰り返している、もはや戦前だという人たちがいるのも肯ける。

もちろん愛国心の問題もある。国を愛そうが、愛すまいが、それは個人の自由ではなくなってしまった。
何よりもどのような態度が国を愛する態度か、評価する以上基準ができるということが問題だ。このような態度・行動をしなければ国を愛することにはならないと決められる。それは本当におかしなことだ。
気持ち・感情の表現というのは人によって様々で、その多様性が社会を豊かにし、芸術を高める原動力だったりする。それが「国を愛する」ということにおいては、認められないのだ。なんと窮屈なことだろう。

教員への管理・統制も厳しくなる。国労から続いてきた、労働組合つぶしの一環でもある。国鉄・電電公社・郵便局、民営化されてきたところは皆、現場の労働者による組合が強かったところだ。
社会保険庁の民営化もそう。不祥事があったからといって民営化する理由にはならないと思うし、年金そのものは国の事業なのだから、すごくおかしな話なのに、推し進めようとするほんとに理由は、組合つぶしにあると思っている。
なんといわれようと、組合が労働者の労働条件を改善し維持してきたのは事実だと思う。組合をつぶすことで企業本位の社会にシフトしていける。今回の企業優遇の税制改革も、ホワイトカラー・エグゼンプションなどの労働条件の変更案も、すでに現状がシフトされていることを示している。分断され、管理され、競争させられていく個人は、何も声をあげられない。いいように使われてしまう。正社員の過重労働、非正規雇用の増大はその結果だ。

しかし、教育とはどんな営みで、何に支えられている仕事だろうか。
労働者=教師個人の熱意や想像力、臨機応変な対処・柔軟性などではないだろうか。知識とマニュアルがあればできる仕事では決してない。それは、人相手の仕事、医療や福祉などにもいえることだ。それを管理し、枠にはめ、自由を奪うことで、一体どうなるのか。今以上の教室の荒廃を招く気がしてならない。

政府の今回の改正理由の言い分は、今の教育問題を解決するためだと言うが、現場を追い詰めることはけっして解決にはならないと思う。
子どもたちのことを、教師たちのことを、子どもを育てる親たちのことを思うとき、心が痛む。

もっときちんと知りたい人は、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」のサイトを見てください。
http://www.kyokiren.net/_recture/about_prob

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